舐めまわしでよみがえる生命記憶

生後3カ月半を過ぎると、赤ちゃんは目を覚ましている時間が長くなります。あらゆるものに興味を示し、目で見て手を使えるようになります。目で見て手を動かすと同時に、仰向けになっている赤ちゃんが頭を左右に動かすようになります。この時期の赤ちゃんは何でも口に入れて噛もうとします。自分の握りこぶしを口に持っていきます。この時期の赤ちゃんにとって口は、世界を探る手段なのです。

6か月を過ぎて、すっかり首がすわると手が自由になります。手が自由になると、手の届くものを何でも口に運んで舐めまわします。赤ちゃんは舌で舐めまわすことで、小さな凹凸のあるツルツルした球形を記憶します。ゴルフボールを見たときに、奥行きのない円形ではなく、凹凸のあるツルツルした球形だと分かるのは、手でなでまわし舌で舐めまわして体感した記憶と視覚像を結びつけるためだといわれています。ある解剖学者はこれを「生命記憶」と呼んでいます。手や舌で、なでまわし舐めまわしてはじめて、かたちや距離や表面の性状を記憶の底に覚え込むことが出来るというのです。

指さし ~感覚の主役は触覚から視覚へ~

赤ちゃんは、上下8本の前歯がすっかり生えそろい、1歳の誕生日を迎えること、自分から「指さし」を始めます。関心のあるものを見つけてそれを指さします。人間独特の「指示思考」の芽生えです。どんなに賢い犬でも、指さしで何かの位置を教えようとすると、その指の先に注目してしまい、指さす方を見ることはしません。この指さしが「ことば」につながっていきます。

次に立ち上がるようになると、突然、視野が広がります。目で世界を見るようになると、舌や手で獲得した「生命記憶」を目で理解するようになります。感覚の主役の座は、触覚から視覚へと移っていきます。視覚が優位になると、口唇や舌や歯の感覚と記憶は、原始的で低級な感覚に貶められてしまいます。でも、大人の性愛の快感や、あるいは食べることの愉悦は、この乳児期の豊かな記憶が底辺にあるのです。成長して視覚と言語によって複雑な思考をするようになった時、その底辺を支えるのは舐めまわしの記憶なのです。

よちよちと二足歩行が可能になるころ、咽頭腔が拡がり、複雑な発音ができるようになり、一気にことばによる思考の表現が始まります。小さな奥歯が生えそろう頃、お口は感覚の主役から会話の主役に変わっているのです。